詩歌 verse
西行月を眺めても慰められるわけではないのですが、それでも月を眺めて明かすこの頃です。何でもないのに、つい眺めてしまう月です。月の面に誰かの面影を見る、という解釈も良し、です。
古今集 詠み人知らず吹く風に注文をつけるならば、この樹一本だけは避けておくれと言おうものなのに。「避(よ)く」という珍しい言葉が使われています。「吹く風」というフレーズは貫之が得意とするところですが、この歌人はどんな人だったのでしょう。
西行ともすれば月の住む澄んだ空に憧れます。心の行き着く果てを知るすべがあればいいのですが。「すむ」は「住む、澄む」の掛詞。「あくがる」は「彷徨い出る」という意味もあります。旅の中で生きた西行の世俗を断つ決意も感じさせる歌です。
紫式部久しぶりに逢えた方と、月が出たかどうかわからないうちにお別れすることになってしまいました。まるで雲隠れする夜半の月のように。百人一首でもおなじみの歌。友人との再会を詠んだ歌ですが、恋の歌にもみえますね。
藤原顕輔(左京大夫顕輔)秋風でたなびく雲の絶え間から、漏れ出てくる月影のなんと澄みきっていることでしょう。顕輔は崇徳上皇から勅命を受け、『詞華集』を撰進。平安後期の歌の先生です。
藤原基俊夏の夜の月を待つ間の手慰みに、岩から漏れ出る清水を何度掬ったことでしょう。日暮れの遅い夏に、月を待つ昔の人はさぞ暑い思いをしたことでしょう。清水の冷たさを感じる涼しい歌です。
後撰集 詠み人知らず大空に桜をすべて覆うほどの袖があればいいのに。春に咲く桜を風に任せて散らせたくはないものです。『源氏』光の孫、匂宮が「樹の巡りに帳を立てて…」とかわいらしい発案をすると、光は「おほふばかりの袖求めけんよりは、いとかしこう思しよりたまへかし」(大きな袖を求めた昔の人よりも良いことを思いつきましたね)と褒めます。平安時代から愛誦されたことがわかる一節です。しかしまぁ、ずいぶん素直な詠み振り。本当に孫の語りのようです。
古今集 源 宗千(むねゆき)常盤木(ときわぎ)の松ですが、春の訪れとともに、一段と緑を鮮やかにします。不変、長寿の象徴、松は、冬の景色を詠んだ歌が多いのですが、この歌は新春のとてもおめでたい風情があります。源宗千は百人一首「山里は冬ぞ寂しさまさりける 人目も草もかれんと思へば」が有名。紀貫之や伊勢との贈答歌が残ります。
伊勢の御大空に群れ飛ぶ鶴が、さながら貴方の長寿を祝う心があるかのように見えます。女流歌人で、勅撰集に最も多くの歌が入集する伊勢の御。五条内侍のかみの長寿を祝って詠んだ歌。情熱的な相聞歌(恋の歌)で知られる伊勢ですが、雑歌(ぞうか)も素晴らしいですね。
西行私と同じように月を見ている人がいるなら、せめて哀れと思ってほしい。月にあの人の面影を、いつまでもとどめている私の心を。特定の誰かを詠みながら、多くの鑑賞者に詠みかける歌。孤独の中で生きる西行の歌は、多くの人の共感を得ます。